六畳間の窓枠

色々な作品の感想や所感を書いていけたらなと

思っていた以上にシャフトが好きだったかも。という話──シャフト批評誌「もにも〜ど」感想

自分が特殊な演出をするアニメを好きになる、注目してしまう要因にはやはりシャフトの影響が強いと感じる。

他では見られないあの特殊な演出や場面カット、他のアニメ制作会社とは違った妖しくも美しい世界観や色彩は小学生の頃に出遭ってしまったら、それはもう好みがひん曲がるのは半ば必然的だろう。

オタクと呼べるほど熱中していなかったアニメにのめり込むキッカケになった作品はまどマギだったし、カゲプロのアニメであるメカクシティアクターズ物語シリーズを見るキッカケになった傷物語Fateで二番目に見た作品であるFate/EXTRA Last Encoreの制作もシャフトだったり。思い返せば何かとシャフト作品に縁がある─それもターニングポイント的な場面で─学生時代を過ごしてきた事もあり、そんなシャフトを愛好とする方々が集まり作り上げられた濃密な批評誌を見逃せないのもそれは至極当然だったと、読み終わった今でも強く思う訳であった。

 

Twitter経由で知り、5月の文芸フリマにて購入した総勢25名・総ページ数332Pの大ボリュームシャフト批評誌「もにも〜ど」を先日読み終えましたが、本当にどの内容も濃く、細かく分析されていて非常に読み応えがありました。

しかし、購入から5ヶ月間も掛かったのは流石に怠惰なのでは?と思わなくもないですが、その分長く楽しめた。と言う事で......

 

前半部分を彩った北出栞氏の「スマートフォンゲームによる「アニメ」の拡張─『マギアレコード』が達成したもの」を筆頭としたマギレコに関する批評は、「マギレコはどういった意味/アプローチを内包する作品だったのか」に話の肝が置かれていた事もあり、マギレコを見ていなかった自分はかなり興味を唆られる内容で楽しかったです。

基本的に印象深く「ここまで見ているのか....」と感心する批評が多くありましたが、その中でも特に印象深い批評を(強いて)挙げるなら

巴マミのテーブルはなぜ三角形なのか(anakama氏)

・シャフト演出が音楽と交わるとき──物語る前衛音楽と魔法の音の成り立ちについて(rion氏)

・自ら終わりを描くこと──『Fate/EXTRA Last Encore』における「再演」と「シャフトらしさ」の逆説(初雪緑茶氏)

〈物語〉シリーズにおける文学の進化史─尾石達也から板村智幸へ(Morytha氏)

の四編でしょうか。

 

巴マミのテーブルはなぜ三角形なのか」はあくまでも「前衛的なシャフト演出の一環」、試聴時はごく当たり前の風景として流していた「やたら尖ったテーブル」に対して、こういう解釈や意図を汲み取る事が出来ると言う所に改めてシャフトという会社が作るアニメの「細かさ」について改めて感心する事に。

 

「シャフト演出が音楽と交わるとき」は〈物語〉シリーズまどマギで使用されている音楽の源流を辿りながら、その音楽たちがどうアレンジされ作品に落とし込まれているのかを事細かに解剖し、分析し、描き切っていた内容に圧倒されたのを覚えています。

とは言え、悲しい事に記憶力が終わり過ぎていた為、劇中で使われていた曲をパッと思い出せない事もあったのでこの批評で挙げられた作品見返す際は副読本の様な形で読み返していきたいなと。

 

〈物語〉シリーズにおける文学の進化史」も「伝奇」を想起させる様な文字の使い方をしていた「化物語」と以降の物語シリーズのポップさを持つ文字演出はどう違い、どういう効果をそれぞれ持っていたのかに視点が当たっていたのが印象的でした。

同じ様な演出に見えるが、演出する人物が違えば当然その内包する意味合いも異なる。

当たり前の話ですがそこまで意識していなかったので本当に興味深かったですし、「文字演出に関しては〈物語〉シリーズはどこか失速するように幕を閉じる」と締め括ったのも凄く「批評」としての在り方が前面に出ていた印象深い終わり方でした。

 

「自ら終わりを描くこと──『Fate/EXTRA Last Encore』における「再演」と「シャフトらしさ」の逆説」、このもにも〜どを手に取るキッカケとなった批評、かつ型月を愛好としていた人達ですらあまり語らない─語っていてもそれは愚痴と言った良い話ではない─「Fate/EXTRA Last Encore」がどういう作品だったのか。そしてどういう目線で観るのかを語り尽くしており非常に楽しく読ませて頂きました。

特にこの批評において「シャフトらしさ」と言える演出─特に視聴者サイドや奈須きのこが期待していたであろう"前衛さ"─がある種空回りしていた原因についての言及が他の批評の「らしさ」に纏わる話と対になる...と感じる内容だった事や、ラスアンという作品を解剖してけば、そこに込められていた骨子はとても純粋かつ王道のモノだった。というのはラスアンという作品の新たな解釈の地平を切り拓いたと思います。

 

シャフトというアニメ制作会社は唯一無二とも言える世界観と演出、そしてそれに魅せられたファンの皆々様の根強い人気がある。この批評誌を読み終えた上でより強く思っていますが、ここまでシャフトという作品に対して熱烈かつ見落としてしまいそうな部分にまで着目した批評誌は見た事が無かった(過去にはあった様ですが、もう読める手段も無く.....)のでとても興味深く、そして自分には無かった視点を多く得れたと思いました。

そうやって読み進めていく中で、自分にとってシャフトがどれ程(無意識的に)影響を与えていたのかを改めて感じましたし、その影響が巡り巡って色々な世界を開拓する要因になっていたのであれば感謝しきれない気持ちで一杯になりますね。

次回の批評誌の制作も始まっている様なので、完成を楽しみにしています。